定期異動の周期と、新規事業が要求する時間軸のあいだにあるズレ
多くの大企業で人材育成の柱に据えられてきたジョブローテーションは、新規事業という文脈では事業の推進力そのものを損なう要因になり得る。一般に2〜3年周期で担当者を入れ替える定期異動の慣行と、新規事業の立ち上げに要する仮説検証・顧客理解の蓄積という時間軸のあいだには、構造的な不整合が生じているからだ。
この不整合は、特定の企業の運用の巧拙や、個々の担当者の能力の問題として片づけられるものではない。ジョブローテーションという制度自体が、もともと新規事業を想定して設計されたものではないという、より根の深い事情に起因している。
ジョブローテーションの合理性は、既存事業を前提にしている
ジョブローテーションが日本の大企業に広く定着してきたのには、それなりの合理性がある。複数の部門を経験させれば、事業全体を俯瞰できる人材が育つ。特定のポストへの過度な依存も避けられるし、部署をまたいで話を通せる橋渡し役も自然に増える。既存事業のように、業務プロセスも顧客も市場構造もある程度確立している領域であれば、担当者が数年単位で入れ替わっても、引き継ぎさえ機能すれば事業は回り続ける。むしろ多様な人材を循環させることのほうが、組織全体の適応力を高める。
ところが新規事業は前提が異なる。何が売れるのか、誰が対価を払うのか、どの課題が本当に切実なのかが、着手した時点ではまだ分かっていない。仮説を立て、検証し、外れれば修正し、また検証するというサイクルを何度も回して、ようやく事業の輪郭が見えてくる。この探索から検証、そして拡大へ至る一連のプロセスには、通常、複数年単位の時間がかかる。しかも各フェーズで得られる学びは、前のフェーズの学びの上に積み重なっていく性質のものであり、途中で担当者が入れ替わればその積み重ねが途切れる。
既存事業向けに設計された2〜3年という異動周期を、性質の異なる新規事業にそのまま適用すれば、事業がようやく仮説の精度を上げ始めた頃に担当者が交代するという事態が構造的に起こりやすくなる。これは運用の失敗ではなく、そもそも異なる時間軸を持つ二つの仕組みを、同じ物差しで扱っていることの帰結である。
この対比は、チャールズ・オライリーとマイケル・タッシュマンが「両利きの経営」として論じてきた、既存の知を深める活動(exploitation)と新しい知を探索する活動(exploration)の区分とも重なる。人材を循環させて組織全体に知見を行き渡らせる運用は、深化の論理には適合するが、特定の仮説を同じ担当者が辛抱強く検証し続けることを要求する探索の論理とは、本来別の設計原理を必要とする。
異動のたびに失われるもの——属人化した知見の断絶
新規事業の初期段階で蓄積される知見の多くは、報告書や議事録には残りにくい性質を持つ。どの顧客層に話を聞くと有効な反応が得られやすいか、どの言い回しで説明すると初回の商談が次につながりやすいか、社内のどの部署に話を通しておくと後工程が滞らないか——こうした知見は、担当者本人の中に経験則として蓄積される暗黙知であり、明文化されないまま個人に属人化しやすい。
この属人化自体は、新規事業の初期に特有の避けがたい現象でもある。仮説検証の過程はマニュアル化しにくく、担当者が自ら手を動かし、外れを重ねながら勘所をつかんでいくほかない部分が大きい。問題は、その勘所のうちどこまでが組織側に残せるものなのかが、あまり吟味されないまま、異動によって担当者本人がまとめて持ち去ってしまう点にある。
後任者は、前任者が数年かけてたどり着いた地点からではなく、しばしば探索の初期段階に近いところから再び仮説を立て直すことになる。事業計画書や引き継ぎメモの体裁は整っていても、そこに書き切れない判断の根拠や、失敗した施策の背景にある文脈までは伝わりにくい。結果として、外形上は事業が継続しているように見えても、実質的には「振り出しに戻る」というコストが定期的に発生する。このコストは決算書には現れにくいため、経営側からは見えにくいという厄介さも併せ持つ。
異動は敵か、それとも唯一のリセット装置か
ここまでの整理だけを読むと、対処は単純に見える。異動周期を延ばすか、固定担当制にすればよい、と。だが長期間ひとつの事業に居座り続けた担当者は、費やした時間と労力そのものに判断を縛られやすくなる。積み上げた検証の量が増えるほど埋没コストへの執着が強まり、筋の悪い事業を止めるべき局面で止められなくなる。事業が担当者の自己証明と一体化してしまうからだ。
つまり定期異動は、知見の断絶を引き起こす装置であると同時に、組織が事業を客観視し直せる数少ない強制的な機会でもある。前任者が下せなかった撤退判断を、しがらみのない後任者だからこそ下せる場面は実際に少なくない。だとすれば問うべきは「異動させるべきか否か」ではなく、「何を断ち切り、何を持ち越すかを選べる異動に組み替えられるか」である。
三本の打ち手は並列ではなく、補完関係にある
この観点に立つと、対処法は独立した選択肢の一覧ではなく、役割の異なる部品の組み合わせとして見えてくる。出発点は、ここまで見てきた暗黙知を二種類に分けることだ。一方は試した施策とその棄却理由のように言語化すれば形式知に変換できるもの、もう一方は顧客側の担当者との個人的な信頼関係や、社内のどこに「この人が言うなら」という信用が効くかといった、人にしか宿らないものである。両者を同じ扱いで「引き継ぎ資料に書いておけばよい」と済ませると、記録に残らない部分がそのまま失われる。むろん、現場でこの線引きがきれいに割り切れる保証はない。それでも、割り切ろうと試みること自体が、引き継ぎの精度を変える。
この区分は、経営学者の野中郁次郎らが『知識創造企業』で提示したSECIモデル――暗黙知と形式知の変換プロセスを扱う枠組み――とも重なる論点である。同モデルが示すのは、暗黙知の一部は共同化・表出化を経て形式知へ変換しうるが、変換しきれない部分は個人の側に残り続けるという構図であり、新規事業の引き継ぎ問題は、この変換可能な範囲と不可能な範囲の線引きをどこに設計するかという問題として捉え直せる。
優先すべきは、形式知化できる範囲を最大化する仕組みを制度として持つことだ。何が有効で何が無効だったのかを判断根拠まで含めて記録し、組織のナレッジとして残す運用を位置づける。記録では移せない関係資本には、並走期間や複線配置を充てる。前任者と後任者が重なる期間を確保しておくのは、記録では届かない部分を埋め合わせる二段目の手当てであって、代替案ではない。
これらを支える器として、新規事業部門を人事制度上の例外領域と位置づけ、異動サイクルの基準を探索期・検証期・拡大期という事業フェーズに連動させるという選択肢もある。狙いは異動を遅らせることではなく、埋没コストが浅いうちにリセットできるフェーズを、あらかじめ設計しておくことにある。
事業の時計と人事の時計は、放っておけば別々の速度で回り続ける。異動を蓄積の断絶としてのみ扱うか、意思決定のリセットとしても使いこなすか——同じ2〜3年という数字は、どちらの意味にもなる。
COMMITについて
COMMITは、新規事業を通じて会社を変えていきたいという課題認識を持つ大企業・伝統企業の新規事業部門責任者に対して、実務経験豊富な経験者の暗黙知を提供し共に学び合うコミュニティです。詳細はプレスリリースをご参照ください。
なお、研究会やコラムのお知らせはメールマガジンを通して行なっております。ご希望の方はIntraStarのメールマガジンにご登録ください。