数字を固め、ロジックを詰め、想定質問への回答まで用意した。そのはずの新規事業提案が、経営会議で「もう少し詰めてから」と押し戻される。次の会議で修正版を出しても、また別の角度から待ったがかかる。担当者は自分の説明力や資料の完成度を疑い始めるが、直してもなぜか同じ壁に当たる。
この壁は、提案書の中身の問題ではないことが多い。稟議が通らない理由の大半は、資料の質ではなく、合意形成というプロセスそのものの設計不足にある。
稟議は一発勝負ではなく、事前の連続プロセスである
会議の場に初めて資料を持ち込み、その場で決裁者の理解と賛同を得ようとする進め方は、構造的に分が悪い。決裁者は会議の場で初めて聞く話に対しては、まず慎重な姿勢を取るのが自然な反応であり、その場で好意的な判断を返すことのほうが例外に近い。持ち帰りや保留は、内容が悪いという評価ではなく、判断材料が揃っていないという合図であることが多い。
会議とは、そこで初めて説得する場ではなく、それまでに解消しておいた懸念を確認し合う場だと捉え直すと、景色が変わる。会議前日に資料一式を送りつけただけの状態で本番を迎え、冒頭の質疑で最初の一言から防戦に回る——このパターンに心当たりがあるなら、直すべきは資料の中身ではなく、会議に至るまでの時間の使い方のほうだ。会議前に決裁者と個別に接点を持ち、疑問や懸念をあらかじめ聞き出し、資料に反映しておく。会議の場で決まることは実は少なく、大半はその手前で決まっている。この前提に立てなければ、どれだけ資料の完成度を上げても、会議当日に想定外の懸念が噴出する構造は変わらない。
決裁者ごとに異なる懸念の種類を見分ける
同じ提案書を同じ会議で示しても、決裁者が引っかかる点は一様ではない。財務を預かる立場であれば投資回収の確実性が気になるし、既存事業の責任者であれば自部門のリソースやブランドへの影響が気になる。経営企画の立場であれば全社戦略との整合性を、個人としては自分がこの案件を承認したことがどう評価されるかを気にする人もいる。
厄介なのは、この懸念の種類を見誤ったまま補強を重ねてしまうことだ。財務的な保守性を懸念している決裁者に対して、戦略的な意義を熱心に語っても響かない。逆に、自部門への影響を懸念している決裁者には、投資回収シミュレーションをいくら精緻化しても的外れになる。提案の完成度を上げる前に、まず「この人は何を懸念しているのか」を一人ずつ言語化する作業のほうが、次の会議の結果を大きく左右する。
この発想は、経営学者R・エドワード・フリーマンが提唱したステークホルダー理論——意思決定の影響を受ける・与える関係者を洗い出し、その関心事を個別に把握するという枠組み——とも重なる。フリーマンの理論が本来対象とするのは株主・顧客・従業員・地域社会といった外部の利害関係者だが、同じ発想は社内の意思決定プロセスにもそのまま応用できる。決裁者もまた、それぞれの立場から事業を評価する一つの「ステークホルダー」であり、その関心事を個別に洗い出す作業を経ずに全員へ同じ資料をぶつけることのほうが、むしろ不自然だと捉え直せる。
「反対しない人」まで含めて事前に一人ずつ回る
事前の根回しというと、賛成してくれそうな人を味方につける作業だと捉えられがちだが、それだけでは不十分だ。会議の場では黙って頷いていた本部長が、翌週になって「もう一度確認させてほしい」と資料を差し戻してくる——こうした、いわばサイレントな抵抗者の存在が見落とされやすい。この層は会議中には可視化されないため、事前に洗い出さない限り気づかないまま提案が止まる。
この作業を、特定の担当者の勘や経験に依存した処世術として扱ってしまうと、組織としての再現性が失われる。むしろ、決裁に関わる人物を一人ずつ書き出し、それぞれの懸念を仮でよいので言語化しておくという手順は、誰が担当しても再現できる設計として扱える。属人的な「根回しがうまい人」に依存する体制から、手順として引き継げる体制へ移す発想の転換が、ここでの要点になる。
新規事業の成否を決めるのは、事業そのものの筋の良さだけではない。その筋の良さを、社内の意思決定プロセスの中でどう通すかという設計もまた、責任者が担うべき仕事の一部である。
次の会議に臨む前に、決裁に関わる一人ひとりについて、いま何を懸念していそうかを1行で書き出してみてほしい。それだけで、会議の当日に何が起きるかの見え方が変わってくる。
COMMITについて
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