(本稿は特定企業への取材に基づくものではなく、MBOの制度設計論と評価理論の知見を新規事業配属という文脈に当てはめて構造を解く分析論考である。)

「まだ検証段階です」としか言えない考課面談

半期の考課面談。上司から「今期の数字目標に対して、達成率は?」と聞かれる場面を思い浮かべてほしい。新規事業に異動してまだ半年の担当者は、口ごもる。「まだ検証段階です」――それ以上の言葉が出てこない。面談室に流れる沈黙は、思いのほか長い。エアコンの音だけが、やけに大きく聞こえる。

上司の手元にあるのは、既存事業向けに作られた目標管理シートだ。売上目標・利益率・KPI進捗という欄が並び、そこに新規事業の現状を無理やり書き込もうとしている。担当者本人の努力や能力とは関係のない場所で、評価はすでに歪み始めている。

これは個人の能力不足ではない。評価制度そのものの設計が、異動先の事業フェーズに合っていないという構造の問題だ。MBO(目標管理制度)という物差しは、探索段階にある新規事業を測るようにはできていない。

MBO型評価は「期初の数値目標」を測る仕組みであり、探索段階の新規事業とは測るものが違う

MBOは、期初に立てた数値目標に対する達成度を測る仕組みである。既存事業であれば、需要も競合構造も収益モデルもすでに検証済みという前提があるからこそ、目標設定に意味がある。

新規事業の探索段階は違う。何が売れるか、誰が顧客になるかが、まだ確定していない。数値目標を期初に立てること自体が本来無理筋であり、それでも制度上は立てざるを得ない。結果として、未達という判定だけが機械的に積み上がっていく。

冒頭の担当者も、半期のあいだ手を止めていたわけではない。想定顧客へのインタビューを重ね、うまくいかなかった仮説を二つ潰し、次に検証すべき仮説を一つに絞り込んでいた(この「二つ潰した」という経験こそが、次の意思決定の速度を上げている)。これは新規事業の初期段階としては真っ当な進捗だが、目標管理シートのどの欄にも数字としては乗らない。

これは、事業KPIのフェーズ不整合と同じ構造だ。ただし今ここで問題にしているのは事業の予算やリソースではなく、担当者個人の昇給・昇格・査定という、より直接的な話だ。事業のKPIが甘くても、個人の考課シートには容赦なく「未達」の欄が埋まっていく。

経営学者スティーブン・カーは1975年の論文「On the Folly of Rewarding A, While Hoping for B」で、測定しやすい指標に報酬を結びつける制度が、本来求めていた行動とは別の行動を引き起こしてしまう構造的な罠を指摘した。MBOが探索段階の新規事業に噛み合わない問題も、「測れるものだけが評価される」という同型の罠として説明できる。

経営学者リタ・マグレイスとイアン・マクミランは、不確実性の高い事業に対して既存事業と同じ数値計画を当てはめること自体が誤りだとし、期初の目標達成度ではなく「前提としていた仮説がどれだけ検証されたか」を追跡する評価の枠組み(ディスカバリー・ドリブン・プランニング)を提唱している。カーが指摘した「測れるものだけが評価される」罠への処方箋として、この仮説検証ベースの評価軸は実務的な選択肢になる。

「大目に見る」という上司の温情頼みの運用はなぜ破綻するか

現場でよく採られる回避策は、上司が個人の裁量で「今期は大目に見る」と評価をならすやり方だ。これは一見、担当者を守っているように見える。

しかしこの運用は、二つの瞬間に必ず破綻する。相対評価の枠に押し込まれ、誰かの評価を下げなければ帳尻が合わなくなった瞬間。そして上司自身が異動・交代した瞬間だ。後任の上司には「なぜこの人だけ数字が未達なのに評価が高いのか」という説明の負担だけが残る。前任者の温情は引き継がれず、結局は前例のない評価として突き返される。

さらに、考課に相対評価の枠を設けている企業は少なくないと言われる。部門内の評価をS・A・B・Cのような分布に収める運用があると、誰か一人は下位に配分せざるを得ない。数字で説明しにくい新規事業の担当者は、真っ先にその枠へ押し込まれやすい立場に置かれる。

属人的な運用は、その人がいなくなった時点で壊れる構造を最初から抱えている。新規事業配属者を守るために必要なのは、上司個人の善意ではなく、制度として別立てされた評価基準だ。基準が制度として存在しなければ、担当者の評価は常に「今の上司の裁量」という不安定な土台の上にある。

制度が変わるのを待たず、配属時点で評価基準をすり合わせるという打ち手

とはいえ、人事制度の改定には時間がかかる。次の考課期を待たずにできる防御策は、配属が決まった時点で評価者と「今期は何をもって評価されるか」を言語化しておくことだ。

財務目標の達成率ではなく、検証した仮説の数、獲得した顧客インタビューの件数、撤退すべき仮説を見極めた判断そのものを評価軸にできないか——この問いを、評価期間が始まる前に一度投げておく。合意した内容は面談メモの一行でよいので、期末に「言った・言わない」にならない形で残しておきたい。

これらの軸は財務指標ほどの厳密さは持たない。それでも、探索の質を測る代理指標としては十分に機能する。大事なのは、この軸を評価者と担当者が期初の時点で共有しているという事実そのものだ。

これは個人の処世術にとどまる話ではない。人事責任者の側から見れば、この配属時点のすり合わせをテンプレート化し、異動のたびに個別交渉させない仕組みへと接続できる問いでもある。

もっとも、この言語化は簡単ではない。評価者自身が新規事業の評価軸を持っていない場合が多く、すり合わせようにも相手に基準がない、ということも起こる。それでも、何も言わずに期末を迎えるより、期初にこの問いを一度投げておく方が、面談室の沈黙は避けられる。

次の考課期が始まる前に、評価者との間で「今期の評価軸」を一行でも言語化してすり合わせておいてほしい。それで面談室の空気が完全に変わるとは言わない。ただ、次に「達成率は?」と聞かれたとき、口ごもる時間は今より短くなるはずだ。

COMMITについて

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